宮澤賢治を支えた妹を知っていますか?
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花巻南高校ってどんな高校?
花南生の精神性をお伝えするために、ひとりの女性をご紹介します。
宮澤トシ先生に学ぶ「花南の精神」
1898(明治31)年、宮澤賢治の2歳下の妹として花巻に生まれたトシは、本校第1回入学式で1年次に入学【注】しました。人物・成績ともに極めて優秀であり、卒業後は日本女子大学家政学部に入学しました。
1919(大正8)年3月に大学を卒業し、病気のため自宅療養していた宮澤トシ先生が花巻高等女学校の英語と家庭科の教師になったのは、翌年9月のことでした。盛岡に出向いて洋服の講習を受けたり、外国人宣教師から英語を習ったりしています。授業では教科書だけでなく外国の小説を読んで聞かせたり、学芸会では生徒に英詩の朗読をさせたり、積極的に取り組まれました。
残念なことに、宮澤トシ先生の本校での教師生活は約1年間でした。病のため1921(大正10)年9月に退職して療養していましたが、翌1922(大正11)年11月27日、24歳の若さで逝去されました。11月27日付とある賢治の3作品「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」は、図書館やネットでも全文を読むことができます。そこで今回は「けふのうちにとほくへいってしまふわたくしのいもうとよ」で始まる「永訣の朝」の中で、妹(=トシ先生)の言葉として引用されている箇所から一つを紹介します。
うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる
(また生まれてくるとしても、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます)
「苦しみたくない」ではなく、「人のためになりたい」のですね。2回生であり本校教師であった宮澤トシ先生の志、花巻南 高校の伝統と精神の根幹がここにあります。
(『花南百年史』、『花南六十年史』より)
【注】1年生と2年生が同時に入学したため、1年生の宮澤トシ先生は2回生となります。
今年はトシ先生の没後100年の年となります。